本土の平和運動は間違っていたのでしょうか
2016年6月18日
■ 本土の平和運動は間違っていたのでしょうか ■
くる日もくる日も、沖縄二誌や反基地派の市民に寄せられる、何らの意味もない大量のウヨ書き込み。
新しい道路ができるといえば、基地のおかげだといい、琉装をまとえば「支那」ですね、という。一日二万円ものお金をもらって反基地運動をしているだの、沖縄をかたれば反日だとわめきたらし、あげくに日本から出て行けという始末。
次から次へと根拠なきデマを飽きずに書きこんでくる彼らに、こちらはもうウンザリなんですよ。
本土ではどんなふうに沖縄が語られているのか、あるいは、いないのか。基地と聞いて、ああ基地と、そんなふうに語れる友人が何人いますか。
目の前に米軍基地がなくても、それらは日本の米軍基地なのです。
元自衛官の 泥 憲和 さんの FB から了解を得て投稿させていただきました。泥さんありがとうございました。
◆◆◆ 写真 ① ◆◆◆
写真は2015年12月1日の琉球新報記事です。
岐阜県職員が「馬鹿な沖縄県民は黙れ。われわれは粛々と辺野古移転を進める」などとツイートしていたといいます。
「赤報隊の再現を」などとつぶやくネトウヨなんですが、こんなのを出現させたのにはリベラル側にも責任があると思います。
岐阜県民がこんなことを言えた義理ではないのです。
なぜなら沖縄の海兵隊は、もとは岐阜にいたのですから。
沖縄県うるま市具志川にあるキャンプ・コートニーに司令部を置く第3海兵師団は、1966年に岐阜県各務原のキャンプ岐阜から移転した部隊です。
ベトナム戦争とあいまって、60年代後半は日本各地で反戦運動、反基地運動が高まっていました。
そこで米国は関東地方を中心とした本土の基地を閉鎖して、多くの土地を返還しました。反基地感情をなだめるためです。
「関東計画」といいます。
各務原と富士にいた海兵第3師団も、このときに沖縄に移転したのです。
◆◆◆ 写真② ◆◆◆
本土の目から基地は見えなくなりました。
基地がなくなったのではなく、沖縄に集中しただけです。
しかし本土の平和運動は高らかに勝利を謳いあげました。
沖縄の苦悩は眼中にありませんでした。
市民も基地があったことを忘れました。
「馬鹿な沖縄県民は黙れ」とぬかしくさるバカが現れるほどに、本土はのんきな「平和」を謳歌しています。
本土の平和運動は間違っていたのでしょうか。